2017年6月26日 (月)

アマ名人戦沖縄県大会ありますよ

来る日曜日(7/2)は、那覇市の沖縄タイムスビルで第71回アマチュア将棋名人戦・沖縄県大会が開催されます。詳しくはずーさんの「大会情報」をご覧下さい。

連合会から届いた案内ハガキには時間の記載がありませんでしたが、午前の部門は9時半から受付開始とのことです。去年の大会には、離島や北部からも愛好家の皆さんが大勢いらしており、さすがアマ名人戦ならではの大盛況の大会となりました。

ただいま空前の将棋ブームです。午後から始まる初心者と初級者クラスにも去年以上の参加者が見込まれますので、早めに受付を済ませておきましょう。

会場が手狭なことと参加者がますます増えてきていますので、スムーズな進行が出来るように、私たちも率先して準備や後かたづけのお手伝いをしましょう。

大会の様子を伝えた「アマ名人戦沖縄大会に参加しました」と「未知なる強豪現る!」も併せてお読み頂ければ、「いっちょ、出ようか!」と士気が高まるかと思います、笑。

それでは会場でお会いしましょう。

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去年は200人以上の参加者がありました。

2017年6月23日 (金)

C2へ降級かなあ

日曜日(6/18)は宜野湾将棋道場のC1リーグ後半戦の開催日でした。リーグ戦に参加する選手以外にもたくさんの会員がいらしており、道場は満員の大盛況でした。藤井クンの大活躍のおかげで日本全国、将棋ブームなんだなと実感できました。

この日も頑張ったけど、おれの将棋は1勝2敗という不甲斐ない出来で終わった。なお欠席者がいたので不戦勝1つもらえて、今期の成績は2勝5敗で終了した、泣。

8人が参加したC1リーグでしたが、同じ勝ち星がおれの他にも2人いた。リーグ表の番号順に2名降級するのであれば、彼らより順位が上のおれはどうにか頭ハネを喰らうことなく残留できると思うが、改めて降級決定戦をやるかもしれない。

戦って戦って、少しでも強くなる。次回は下から上がってくる子供達の壁になりたい、笑。

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2017年6月19日 (月)

さよなら Mさん

今日の新聞のお悔やみ欄でMさんの訃報を知りました。突然の旅立ち、驚きと悲しみでいっぱいです。

近頃、大会にも道場にもお見えにならないよねと噂をしたばかりでした。Mさんの最後の公式戦は12月に行われた年末将棋大会での沖縄最強戦になりました。一年間に活躍した6名のメンバーにMさんも選ばれ、若者達を向こうに回して闘志満々の表情で将棋を楽しんでいました。

おれは直接指導を受けることはなかったのですが、息子は一度だけMさんと公式戦で対局したことがあります。最新の研究もしっかりとされており、お年(失礼!)を感じさせない、切れ味の鋭い将棋を指していたそうです。勝負所では、駒音を高らかに駒を打ちつけて、その意気込みを示しますが、決着がつけば元の穏和な表情に戻り、人なつっこい笑顔が印象的なおじいさんでした。

最後にお話ししたのが1月上旬の宜野湾道場でした。リーグ集の完成を楽しみにしているとおっしゃっていました。

享年81歳。合掌。今宵は最強戦でのMさんの棋譜を並べてご冥福をお祈りします。

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昨年の沖縄最強戦の様子。

2017年6月17日 (土)

筋違い角打たれた!

日曜日(6/11)は久しぶりに牧志駅前道場へ遊びに行きました。午前中に24で5連敗してしまい、レートを100近く下げてしまった。最近は調子が良くて安定していたのに、残念だ。気分を変えようと、突然思い立って出掛けたのであるが、午後2時という中途半端な時間帯だったようで、そこには席主と常連のおじいさんしかいなかった。

常連のおじいさんに教えを請う。初戦は得意の角交換四間飛車に付き合って頂いたが、2戦目に「こう指したら、どうする?」と筋違い角を打たれた。

久しぶりに打たれた筋違い角だ。師匠から、この時だけは居飛車を指しなさいと指導を受けていたので、2枚銀で攻め込むようにしたが、なにしろ半年以上もご無沙汰だったし、相手は有段者なので、うまく負かされてしまった。感想戦で、初手から10数手までの基本的な駒組を改めてレクチャーしてもらえたので、来た甲斐はあった。たまには筋違い角の将棋も練習しておかないと意外と焦ってしまうものだ。大会前で良かった。

久しぶりの道場にはお手製の名札が多数掛かっていた。会員自らが自分の名前を丁寧に書いたと思うが、そこに横着な人を一人見つけた、笑。

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2017年6月14日 (水)

プロ棋士という仕事/青野照市

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青野照一九段の「将棋界の不思議な仕組み プロ棋士という仕事(創元社)」を読了しました。

将棋界にまつわる様々な質問に対して見開き2Pで1つずつ解答していくという読み切りスタイルなので、どのページから読んでも楽しめます。50年近く将棋界に在籍している青野先生が、将棋ファンが知りたいことや将棋界の仕組みや内情を分かりやすく丁寧に解説しています。将棋ブームの現在、うんちくを語る上ではお薦めの本です。

今回、入手したのは青野先生の揮毫入りでした。とてもうれしい。「どこまで行くかは才能の差 いつまで持つかは修行の差」とありました。まさにプロ棋士という仕事がどういうものなのかを的確に伝える言葉ですね。

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2017年6月11日 (日)

人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?/山本一成

最強将棋ソフトponanzaの開発者の山本氏が書いた『人工知能はどのようにして 「名人」を超えたのか?(ダイヤモンド社)』を読了しました。将棋ソフトや開発者に関する本はいくつか読んでいますが、待ちに待った真打ちの登場です。

副題に「最強の将棋AIポナンザの開発者が教える機械学習・深層学習・強化学習の本質」とあるように、これら3つの学習を通して、ponanzaがどのようにして強くなっていったのかを分かりやすく解説しています。ただ、流行のディープラーニングを紹介するに当たり、将棋ではなく囲碁を題材として解説しているので、将棋との関係の点では分かりにくくなってしまったように思う。
ディープラーニングの仕組みについては、得られた情報を画像と結びつけてよく説明されるので、それなら囲碁を例に取れば読者に伝えやすいということで選んだと思うが、盤上と盤外に駒が出入りする将棋というゲームで、どのようにディープラーニングを使って将棋ソフトを鍛えていくのかというところを知りたかった。

最終章で、ここ半年に起きた画期的な出来事として、pononzaにもディープラーニングを組み込むことができたと山本氏が報告しています。それがなぜ出来たかと言うことについては数行でさらっと説明されていますが、その詳細についてはまた次回ということでしょう。

それともうひとつ。将棋ソフトに大きなブレイクスルーを起こしたBonanzaについては触れてほしかった。コンピューター将棋の歴史を語る上では絶対にはずせないと思う。

人工知能の最前線で活躍されている著者の興奮が伝わってくるスリリングな本でした。

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2017年6月 8日 (木)

年の差があっても

梅雨の中休みの日曜日(6/4)は宜野湾道場のC1リーグの開催日でした。

初戦は5歳の幼稚園児(5級?)と。前の大会でKクンの強さを見せてつけられていたので、戦う前からびびっていた。坊やの棒銀の攻めが巧みで端を食い破られてしまった。超早指しに翻弄されて、端歩交換を許したのが敗因だった。感想戦でちびっ子先生に「おじさん、なぜここに歩を打たなかったの?」と不思議そうな顔をされた。そうしなかったの、おじさんも良くわかんない。

2戦目は85歳のNさん(二段)と。一般大会に参加するなかで最高齢の方です。前からぜひ一度お手合わせしたかったので、願いが叶ってうれしい。Nさんが飛車先の歩を2つ伸ばしたので、飛び出し角戦法を発動させたが、歩交換をスルーされて空振りに終わった。中盤まで悪かったが、頑張って盛り返したと思う。秒読みに入り、向こうが間違えるのを願いながら、玉を詰ましにいったが、1枚足りなくて逃げられた。「ぷりうすさん、今日は私がたまたま調子が良かっただけです。あなたはお強い」とほめてもらえた。また今度教えて下さいとお礼した。

3戦目は10歳のお友達のJクン(4級)と。こちらの手の内はすっかりばれているので、序盤で角交換させてもらえない。オーソドックスな居飛車と四間飛車の戦いになった。2枚銀を繰り出していくのが彼の新しい工夫かな。双方が大駒を捌きあったとき、取ったばかりの銀をぶち込めば勝勢だったが、これに気づかず。あとは、こちらにミスが出てだんだん悪くした。さらに終盤で王手飛車のおまけまで食らう大完敗だった、泣。

3連敗でこの日は終わったが、なぜかすがすがしい気持ちで帰れた。55歳のおれが、5歳の幼稚園児や10歳の小学生、85歳の大先輩までというふうに、世代を超えた対話ができたから。将棋の素晴らしさを満喫した休日でした。

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80の年の差対決が始まった!

2017年6月 5日 (月)

都成竜馬四段にインタビューしました・後編

Q:憧れていた棋士は?

A:師匠の谷川先生や羽生先生です。ちょうど自分が小学校一年生の時に羽生先生が7冠を取られて。そのときからお二人への強い憧れがありましたね。

Q:小学5年生の時に出場された第25回小学生将棋名人戦で優勝されて、その年の9月に関西奨励会へ入会されました。日本一になったので、奨励会を受験しようと決意されたのですか?

A:決意というよりは、プロ棋士になるためには次は奨励会だと、思っていました。

Q:奨励会を受験するには師匠を見つけなければいけませんが、谷川先生との出会いのきっかけは?

A:師匠とは面識はなかったのですが、5年生のときに「弟子にして下さい」と手紙を書きました。もちろん、親にも師匠宛の手紙は書いてもらいました。

Q:奨励会に合格されたときに、師匠に何か言われましたか?

A:最初に勉強方法のアドバイスを頂きました。20手前後の詰め将棋を解くことや、棋譜並べをしっかりするようにと言われました。あと「三段になって、やっと半分だからね」と強く言われました。

Q:宮崎から関西道場への月2回の通いは大変だったと思いますが?

A:最初の数回は母親に大阪まで付いていってもらいましたが、その後は一人で通いました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

A:学校の成績はだいぶ落ちました。うまく両立できなかったと思います。しかし、自分はプロになるんだからと強く思っていました。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

A:性格的には負けず嫌いが向いていると思われるようですが、自分の性格は、う~ん、そこまで負けず嫌いではないし、笑。それでも自分がプロになれたのは、それほど将棋が好きだったからだと思います。将棋が好きなのが一番だと思います。

Q:奨励会を目指している子にはどのような勉強方法を薦めますか?

A:藤井 聡太さんを見ていると、詰め将棋がいかに大事だなと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

A:自分の場合は、家族が見守って応援してくれたのがありがたかったです。自分は将棋と勉強の両立があまり出来なかったけれども、学校の勉強がおろそかにならないように、厳しくするのも大事だと思います。

本日はどうもありがとうございました。都成先生のますますのご活躍を期待しています。注文のタコスも来ましたので、熱いうちにお召し上がり下さい。初めてのルート・ビアの味も気に入ってもらえればいいのですが、笑。それでは、乾杯!

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2017年6月 4日 (日)

都成竜馬四段にインタビューしました・前編

5月7日の学生3大会にゲストとしていらっしゃいました都成竜馬四段へインタビューしました。都成先生が奨励会に入るまでを中心にお聞きしました。奨励会を目指す沖縄の子供達の参考になればということで、快くご了解していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は都成先生に目を通して頂き、ご了解のうえ掲載いたしております。

Q:将棋をはじめたきっかけは「父と兄が指していたのをみて自然に覚えた」ということですが、それはおいくつのときですか?

A:4歳でした。父が将棋がとても好きな人なので、兄に教えていました。二人が楽しそうだったので、自分もいつの間にか加わっていました。

Q:ご家族は将棋が強かったのですか?

A:父と3つ年上の兄は、だいたい初段~2段くらいだったと思います。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

A:外を走り回ることも好きでしたが、将棋を覚えてからは、それにのめり込んでいました。他には手品にも興味を持って、それも覚えたような気がします、笑

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

A:ぼーっとすることが多いと。対局中もよそ見することが多いと注意されました。集中力はあまりなかったです、はい、笑。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか?

A:自分が小一のときに、父がこども将棋教室を始めました。元々教え好きの性格なので、自分と兄に教えていたことがきっかけになったようです。自分よりも年上の子が多くて、教室はにぎやかでした。

Q:どんな将棋の勉強をしていましたか?

A:詰め将棋と実戦が多かったような気がします。詰め将棋は元々好きで、朝、幼稚園へ行く前にも解いていたそうです。

Q:その頃、周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

A:最初のライバルは兄でした。でも自分が小一くらいで抜いちゃったようで。ライバルよりも将棋仲間がたくさんいました。兄と同じ年の高崎一生六段もこちらの教室に通っていましたよ。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

A:この子は将棋の子だと。大会や奨励会のために学校を休むので、もう仕方ないなと、笑

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

A:2年生でした。奨励会を受験するときには四段になっていました。

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつでしたか?

A:将来の夢を聞かれたときには、小学校に入る前から漠然とでしたが、プロ棋士になりたいと答えていました。

続く

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2017年6月 1日 (木)

寄稿・西日本久留米王位戦に出場しました

第40期西日本久留米王位戦(主催:西日本新聞社)に沖縄県代表で出場されたSさんへ大会記の執筆をお願いいたしました。今回もありがとうございます。

大会記:Sさん

(前略)支部名人戦西地区大会に続いて寄稿させて頂くことになりました。「寄稿・アマ将棋支部名人戦・西地区大会に出場しました」と併せて読んで頂けたら幸いです。

5月14日に西日本久留米王位戦が福岡県の久留米市で開催されました。今回が第40回の記念大会ということで、幸い初出場を果たすことができました。

本大会はトーナメントなので、くじ運が相当大きいと思っていました。強敵を引き当てると一発撃沈(=初戦敗退)の可能性もあります。前回も書きましたが、やはり県を代表して来ているわけですから、初戦敗退は避けたいところでした。

13日に前夜祭並びに抽選があり、沖縄勢は予想通り、残りくじ(笑)でしたが、まずまずと感じました。しかし各県を代表して来ている選手ばかりですので、もちろん、まったく油断はできません。

1、2回戦は比較的にうまく指せて勝つことができましたが、ベスト4入りをかけた準々決勝戦は大苦戦でした。しかしなんとか勝って、準決勝戦で前回の優勝者と対戦することになりました。

この将棋は先行されて反撃、という展開で終盤優勢でした。しかし、秒読みに入った最初の指し手が敗着になってしまいました。帰りの西鉄電車が審判長の豊川先生(孝弘七段)と偶然同じになったのですが、あの時の決め手を指摘して頂きました(笑)もう少し時間が残っていたら...。支部名人戦に続いての準決勝戦敗退となりました。

2大会を通じて改めて感じたこと。それは”将棋は総合力の戦いである”ということです。棋力だけでなく、体力、精神力、また体調管理、持ち時間の使い方、更には指運、etc....。
1日に何回も勝たないといけないので、ただ将棋が強くなれば勝ち進めるとうわけではありません。年齢的にも”勢い”や”若さ”だけで勝てる時代はもう過ぎています。

最後は「将棋」に勝って「勝負」に負けた感じです。今後は「総合力」を鍛え直して、また県大会を戦いたいと思います。応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。

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