インタビュー

2017年12月17日 (日)

中村亮介六段にインタビューしました・後編

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつのときでしたか?

中一で中学生選抜大会に出て、成績はベスト8か16だったかな? またその年に朝日アマの埼玉県の代表になりました。中学生の代表は初めてということで、周囲からもプロ棋士になるように勧められました。それで漠然と意識するようになりました。

Q:子供の頃に憧れていた棋士は?

ずっと四間飛車一本でしたので、振り飛車党の棋士には憧れていました。藤井猛九段や久保利明九段ですね。

Q:13歳のときに関東奨励会へ入会されました。プロ棋士になるんだという覚悟はありましたか?

中一で奨励会試験に1回落ちました。そして研修会から奨励会に仮入会しました。中二のときですね。そんなにプロになることは意識していませんでしたね。その頃は夢中に将棋を指しているだけでした。

Q:奨励会を受験するには師匠を見つけなければいけませんが、高橋道夫先生との出会いのきっかけは?

当時、通っていた練馬の道場の席主さんのご紹介でした。父親とお願いして師匠になって頂きました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

父親がそんなに学校の勉強はしなくてよいからと(笑)。とにかく将棋を一生懸命しなさいと。高校はちょっとだけ通ったのですが、将棋の勉強に集中したくて、結局中退しました。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

負けず嫌いは大切ですが、好きでやっているかどうかが重要だと思います。

Q:彼らにどのような勉強方法を薦めますか?

好きなことを楽しんでやればいいと思います。ぼくはあまり詰め将棋が好きじゃなかったし(笑)。実戦や棋譜並べのほうが好きでしたので、好きなことをひたすらやっていましたね。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

僕はプロになれなかった子も結構見ているので、あまり下手なアドバイスは出来ないです。結構、大変な世界だと思うので...。う~ん、難しいですね...。

本日はどうもありがとうございました。中村先生の益々のご活躍を期待しております。

この日、道場支部の研究会を見学しました。最後に皆で円陣を組んで、中村先生が今日の感想を述べられました。「次に来るときには、もっと強くなっていて下さい。楽しみにしています!」。子供達もその期待に応えられるようにと、キリッと締まった顔つきになりました。

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2017年12月16日 (土)

中村亮介六段にインタビューしました・前編

11月29日に中村亮介六段を講師としてお迎えして、宜野湾道場支部の支部研究会が開催されました。当日、席主のお計らいで、中村先生へインタビューする時間を設けて頂きました。将棋を始めてから奨励会に入るまでを中心にお尋ねしました。沖縄の子供達の参考になればということで、中村先生には快くご了解していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は中村先生に目を通して頂き、ご了承のうえ掲載いたしております。

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Q:将棋をはじめたきっかけは? それはおいくつのときですか?

父親から小学5年生の頃に教わったのが最初でした。

Q:お父様は将棋が強かったのですか? 妹さん(=中村桃子女流初段)はいかがでしたか?

父はそんなに強くはありませんでした(笑)。職場でも楽しんでいたようです。2つ下の妹も一緒に始めたのですが、ぼくの方が強かったですよ(笑)。

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

負けず嫌いでしたね。勝負に負けるととても悔しがっていました、はい。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか? 

最初は入間(いるま)にあった将棋道場に通っていました。そこで席主と八枚落ちから始めました。八王子の道場にも通いましたね。

Q:その頃はどんなふうに将棋の勉強をしていましたか?

棋譜並べや詰め将棋など。将棋大会に出たり、道場で実戦を積み重ねるとか。そんなに変わったことはしていませんでした。

Q:周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

大会でよく当たる子はいました。同じ埼玉で後輩の及川君(=及川拓馬六段)とか金井君(=金井恒太六段)とか、ですね。それとぼくは研修会に通っていましたので、そこにはライバルはたくさんいました。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

将棋が好きな子だとは知っていたはずですが、どうなんでしょうか(笑)。

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

将棋を始めて1年近くでアマ五段までいったので、う~ん、よく覚えていません。

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つづく

2017年6月 5日 (月)

都成竜馬四段にインタビューしました・後編

Q:憧れていた棋士は?

A:師匠の谷川先生や羽生先生です。ちょうど自分が小学校一年生の時に羽生先生が7冠を取られて。そのときからお二人への強い憧れがありましたね。

Q:小学5年生の時に出場された第25回小学生将棋名人戦で優勝されて、その年の9月に関西奨励会へ入会されました。日本一になったので、奨励会を受験しようと決意されたのですか?

A:決意というよりは、プロ棋士になるためには次は奨励会だと、思っていました。

Q:奨励会を受験するには師匠を見つけなければいけませんが、谷川先生との出会いのきっかけは?

A:師匠とは面識はなかったのですが、5年生のときに「弟子にして下さい」と手紙を書きました。もちろん、親にも師匠宛の手紙は書いてもらいました。

Q:奨励会に合格されたときに、師匠に何か言われましたか?

A:最初に勉強方法のアドバイスを頂きました。20手前後の詰め将棋を解くことや、棋譜並べをしっかりするようにと言われました。あと「三段になって、やっと半分だからね」と強く言われました。

Q:宮崎から関西道場への月2回の通いは大変だったと思いますが?

A:最初の数回は母親に大阪まで付いていってもらいましたが、その後は一人で通いました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

A:学校の成績はだいぶ落ちました。うまく両立できなかったと思います。しかし、自分はプロになるんだからと強く思っていました。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

A:性格的には負けず嫌いが向いていると思われるようですが、自分の性格は、う~ん、そこまで負けず嫌いではないし、笑。それでも自分がプロになれたのは、それほど将棋が好きだったからだと思います。将棋が好きなのが一番だと思います。

Q:奨励会を目指している子にはどのような勉強方法を薦めますか?

A:藤井 聡太さんを見ていると、詰め将棋がいかに大事だなと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

A:自分の場合は、家族が見守って応援してくれたのがありがたかったです。自分は将棋と勉強の両立があまり出来なかったけれども、学校の勉強がおろそかにならないように、厳しくするのも大事だと思います。

本日はどうもありがとうございました。都成先生のますますのご活躍を期待しています。注文のタコスも来ましたので、熱いうちにお召し上がり下さい。初めてのルート・ビアの味も気に入ってもらえればいいのですが、笑。それでは、乾杯!

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2017年6月 4日 (日)

都成竜馬四段にインタビューしました・前編

5月7日の学生3大会にゲストとしていらっしゃいました都成竜馬四段へインタビューしました。都成先生が奨励会に入るまでを中心にお聞きしました。奨励会を目指す沖縄の子供達の参考になればということで、快くご了解していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は都成先生に目を通して頂き、ご了解のうえ掲載いたしております。

Q:将棋をはじめたきっかけは「父と兄が指していたのをみて自然に覚えた」ということですが、それはおいくつのときですか?

A:4歳でした。父が将棋がとても好きな人なので、兄に教えていました。二人が楽しそうだったので、自分もいつの間にか加わっていました。

Q:ご家族は将棋が強かったのですか?

A:父と3つ年上の兄は、だいたい初段~2段くらいだったと思います。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

A:外を走り回ることも好きでしたが、将棋を覚えてからは、それにのめり込んでいました。他には手品にも興味を持って、それも覚えたような気がします、笑

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

A:ぼーっとすることが多いと。対局中もよそ見することが多いと注意されました。集中力はあまりなかったです、はい、笑。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか?

A:自分が小一のときに、父がこども将棋教室を始めました。元々教え好きの性格なので、自分と兄に教えていたことがきっかけになったようです。自分よりも年上の子が多くて、教室はにぎやかでした。

Q:どんな将棋の勉強をしていましたか?

A:詰め将棋と実戦が多かったような気がします。詰め将棋は元々好きで、朝、幼稚園へ行く前にも解いていたそうです。

Q:その頃、周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

A:最初のライバルは兄でした。でも自分が小一くらいで抜いちゃったようで。ライバルよりも将棋仲間がたくさんいました。兄と同じ年の高崎一生六段もこちらの教室に通っていましたよ。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

A:この子は将棋の子だと。大会や奨励会のために学校を休むので、もう仕方ないなと、笑

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

A:2年生でした。奨励会を受験するときには四段になっていました。

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつでしたか?

A:将来の夢を聞かれたときには、小学校に入る前から漠然とでしたが、プロ棋士になりたいと答えていました。

続く

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2017年5月21日 (日)

高田尚平七段にインタビューしました・後編

Q:教えていて難しいなあと思ったことは?

A:飽きられて、ドミノ倒しのようなことをされていると、つらいなと、笑。全員に興味を持ってもらうのはなかなか難しいですね。

Q:教えていてうれしかったことは?

A:こちらの言うことを分かってくれて、8枚落ちでも何枚落ちでもこちらを負かしてくれたときはうれしいですね。勝ったときの子供達の満足そうな笑顔を見るのは、とてもうれしいです。

Q:印象に残っているエピソードがありましたらどうぞ

A:最初に訪問した真喜良小学校の小2の女の子です。そのときに初めて駒の動かし方を覚えたばかりなのに、知らぬ間に中住居の形に組んでいました。その後の飛車の使い方もちゃんとしてたのは驚きました、天才少女だなあと、笑。

Q:今後の訪問先のご希望やご予定は?

A:沖縄本島の学校をまんべんなく廻りたいですね。

Q:これからの抱負は?

A:いつかどこかで終わるときがくるのでしょうが、そのときまで精一杯頑張りたいです。

Q:最後に一言どうぞ

A:この学校巡回将棋教室がきっかけになって、将棋が好きになってくれたらそれでいいです。技術的なことよりも将棋好きな子供達をこれからも増やしていきたいですね、笑

高田先生どうもありがとうございました。梅雨の蒸し暑い季節の中、大変だと存じますが、体調を崩さぬようお気をつけください。後半戦の北部エリアでの将棋教室もよろしくお願い致します。

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2017年5月20日 (土)

高田尚平七段にインタビューしました・前編

学校巡回将棋教室でいらしている高田尚平先生へインタビューしました。5月15日から始まった今年の将棋教室は、第一週は那覇エリア、第二週は北部エリアというスケジュールでただいま精力的に行われています。沖縄での学校巡回将棋教室の歴史を中心にお尋ねしました。2回に分けて掲載します。

*なお本記事は、事前に高田先生に目を通して頂き、ご了解のうえ掲載いたしております。

Q:学校巡回将棋教室を始めて何年になりますか?

A:一番最初にボランティアで行ったのは石垣島の真喜良(まきら)小学校でした。2005年ですね。その2年後に当時の米長会長に「君は八重山担当として将棋の普及を頑張ってくれ」と言われました。今年で11年目になりますね。

Q:沖縄とのご縁のきっかけは?

A:僕の友達がたまたま真喜良小学校の教員をしており、「学校で将棋教室をしてくれないか」と頼まれて、沖縄に初めて来ました。  

Q:この10年間はどのような日程で行いましたか?

A:最初の7年間は八重山の学校を廻りました。2013、2014年は石垣島と沖縄本島を1週間ずつ。2015年からは本島を2週間の日程で廻っています。

Q:どういうスタイルで行ってますか?

A:初めての子供達には、駒の動かし方や将棋の格言等の入門講義から始めます。ちょっと指せる子達には駒落ち対局の多面指しを行います。将棋部のある学校では、そのレベルに合わせた技術指導になります。

Q:これまでいくつの学校を廻りましたか?

A:八重山だけで延べ80~90の学校を廻りました。本島でも延べ40校を超えていますので、100校以上廻っていますね、笑。

Q:沖縄の子供達の印象はいかがですか?

A:割とさっぱりしているのかなあ。都会の子は負けても、悔しくてなかなか「負けました」と言えない子が多いのですが、沖縄の子は明るく「負けました~♪」みたいな感じで、笑 でも負けて半泣きの子もたまにいますね。

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