インタビュー

2019年7月22日 (月)

星野良生四段にインタビューしました・後編

Q:憧れていた棋士は?

羽生七冠が誕生したことはきっかけでしたが、将来はお金持ちになりたいという夢がずっとあって、親に「羽生先生はどれくらい賞金がもらえるの?」と尋ねると「1億円」という答えでしたので、将棋を指してそんなにもらえるのならと、プロ棋士に憧れるようになりました(笑)。

Q:奨励会に入会するに際して、師匠を見つけなければいけませんが、西村一義先生とのご縁はどういうきっかけでしたか?

 4、5年生の頃にもうひとつの支部にも通い出して、そこの幹事さんが西村先生とご縁がありまして、紹介して頂きました。

Q:それは奨励会を受けるにあたって師匠をお願いしたということですか?

 そうです。ご挨拶をして弟子にならせて頂きました。

Q:受験の際に師匠に何か言われましたか?

 なにか言われたという記憶はありませんでした。飛車落ちと飛車・香落ちを教わりました。師匠からみて受かるのは厳しいんじゃないかと思われていたようで、合格したときには「よく受かったね」と喜んでいただきました。  

Q:奨励会に合格したのは、(何回目で)おいくつのときですか?

中1(13歳)のときに一発目の受験で合格しました。

Q:ご出身は埼玉県ですね。将棋会館への月2回の通いはそれほど負担にならなかったと思いますが、実際はいかがでしたか?

  奨励会へ行く頃には、一人で結構いろんな所へ行ってましたし、電車で通っていたので時間的な問題もありませんでしたね。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

  中3のときにまだ6級でしたので、しんどいと言えばしんどかったです。あまり勉強は好きではなかったのですが、テストの点数を取ることは頑張りました(笑)。
  
Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

  う~ん。難しい質問ですね(苦笑)。地方在住の大変さがあるはずですので、性格よりも環境が大事だと思うのですが...。

Q:そんな奨励会を目指している子に、どのような勉強方法を薦めますか?

  これも難しい質問ですね。特別な勉強方法はないと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

 スポーツと違ってコーチとか付きませんし、ご両親がずっと手取り足取り面倒みるわけにもいきません。自分でしっかりとやっていかなければいけないので、あまり叱咤激励せずに見守るのが一番かと思います。


星野先生どうもありがとうございました。5月に神戸でお会いしましたが、そこではご挨拶(と記念撮影、笑)しかできませんでした。今回、いろいろなお話を聞けました。楽しかったです。星野先生の益々のご活躍を期待しております。


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2019年7月21日 (日)

星野良生四段にインタビューしました・前編

5月26日に開催された文部科学大臣杯小・中学校将棋団体戦の審判長として来沖された星野良生(よしたか)四段へインタビューしました。星野先生は「超速▲3七銀」の創始者として升田幸三賞を受賞されています。幼い頃から奨励会に入るまでを中心に質問いたしました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は、事前に星野先生に目を通して頂き、ご了解のうえ掲載いたしております。


Q:将棋をはじめたきっかけは「5歳の時に買ったオセロの裏に将棋盤があって興味を持ったことから」ということですが、その時に、どなたが手ほどきしましたか?

  祖父と母が駒の動かし方を知っている程度で、それほどレベルは高くありませんでした。家族に将棋が強い人はまったくいませんでした。

Q:それからずっと将棋に関心を持ち続けていたのですか?

  特に強い情熱があったわけではありませんが、続けてはいました。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

  スポーツは大好きでした。クラブ通いしていたわけではありませんが、夏休みは将棋のない日はずっとサッカーとか、外遊びをしていました。あとカードゲームもしましたね。

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

  どうなんですかね(笑)。将棋に関してなんですが、ずっと支部に通っていたのですが、最初はまったく勝てなくてもやめませんでした。負けず嫌いというよりも、ずっとやっていればいつか勝てるようになるだろうと考えていました。そのような性格でした(笑)。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか。それはいつ頃から?

自転車で15分くらいのところにあった支部に小1から通っていました。道場や教室とも違いますので、そこで教わるというよりも相手をしてもらったという感じでした。そこにはおじさんしかいなかったです(笑)。

Q:小学生の頃はどんな将棋の勉強をしていましたか?

  棋譜並べや詰め将棋もちょこちょこやってましたが、あまり好きではありませんでした。基本的には毎週土曜日の4時間、支部でしっかりと将棋を指すことがメインでしたね。

Q:その頃、周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

  おじさんばかりでしたので、いなかったです(笑)。小学生の県代表を争うレベルになるまでは、いませんでした。

Q:学校ではどのようなお子さんでしたか?

真面目でしたよ(笑)。勉強が好きと言うよりも、テストを頑張るタイプでした。

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

  う~ん、小3くらいだったかなあ。アマ4段は5年生か6年生くらいだったと思います。

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつでしたか?

漠然としては、将棋を始めたくらいの頃からありました。ただそれに向かって特別な努力をしていたわけではなく、憧れとしてありました。

続く

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2018年12月16日 (日)

大石直嗣七段にインタビューしました・後編

Q:憧れていた棋士は?

A:谷川先生や羽生先生でした。

Q:小学5年生の時に「森信雄先生の門を叩いた」とのことですが、森先生とのご縁はどういうきっかけでしたか?

A:師匠が主催した大会に出たときに、師匠が私の将棋を見て下さって、そのご縁で声を掛けて頂いて、入門することになりました。

Q:入門の際に師匠に何か言われましたか?

A:「遊びは控えなさい」と。それと「群らがらないようにしなさい」とはよく言われました。仲良くし過ぎると、実際に対局したときにそれが出てしまうと。

Q:奨励会に合格したのは、(何回目で)おいくつのときですか?

A:小6で1発合格でした。

Q:お住まいは大阪なので、関西道場への月2回の通いは負担にならなかったと思いますが、実際はいかがでしたか?

A:小3から将棋会館のセミナーに一人で通っていましたので、問題ありませんでした。大阪在住というメリットは大きかったですね。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

A:取れていたんですかね?(笑)。学校はできるだけ通って、家に帰ってからは将棋漬けという毎日でした。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

A:いろんなタイプの棋士がいるので、性格どうこうではないと思います。地方の子はどうしてもハンデがありますので、強い意気込みは必要だと思います。

Q:そんな奨励会を目指している子に、どのような勉強方法を薦めますか?

A:私は実戦しかやっていなかったので(笑)。今の子はバランス良くやっている子が多いと思いますね。自分にあった勉強方法を見つけることが大切だと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

A:う~ん、難しい。うちの両親はやりたいことを自由にやらせて、ずっと応援してくれましたので、その後押しというのはとても心強かったです。

 

大石先生どうもありがとうございました。現在は関西研修会の幹事を務めていらっしゃるということで、棋士を目指す子供達に関する質問に対しては、少し考えて、言葉を選んで回答していました。大石先生の益々のご活躍を期待して、これからも応援します!

 

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お仕事だけの沖縄はもったいないということで、首里城へご案内しました

2018年12月15日 (土)

大石直嗣七段にインタビューしました・前編

11月23日にわれら琉球支部は大石直嗣先生をお迎えして、勉強会を開催しました。移動の時間を利用して、子供の頃から奨励会に入るまでを中心にインタビューしました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は、事前に目を通して頂き、大石先生のご了承のうえ掲載いたしております。

 

Q:将棋をはじめたきっかけは「小学一年生のときに父から教わった」ということですが、自分から誘ったのでしょうか?

A:よくご存じですね(笑)。そのころ、4目並べが好きで、家族や親戚とやっていたのですが、かんたんに勝っちゃうので、母が父に「息子に将棋を教えてあげたら」ということがきっかけで、将棋を教えてくれました。

Q:お父さんは将棋が強かったのですか?

A:アマ二段くらいでした。それまで外で遊ぶのが好きでしたが、将棋を覚えてからは、駒を並べて父の仕事帰りを待っているようになりましたね(笑)。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

A:将棋以外には友達とサッカーしたりドッジボールをするのが好きでした。

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

A:昔は集中力がなかったと言われてましたが、どうなんでしょうね。将棋と出会ってからは集中力を身につけることができました。将棋と出会って良かったと思います。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか?

A:アマ3級くらいのときに関西将棋会館の子供セミナーに通っていました。ある程度力をつけてから研修会に入りました。小学3年生くらいの頃でした。DからCクラスにあがったときに、師匠(森信雄先生)からうちへ来ないかと誘われました。そこで兄弟子達に教えて頂くようになりました。

Q:小学生の頃はどんな将棋の勉強をしていましたか?

A:棋譜並べや詰め将棋はあまり好きじゃないので(笑)、実戦ばかりやっていました。たくさん指して、感想戦で悪かった所を勉強して、実力をつけていきました。

Q:その頃、周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

A:届かない存在でしたが、1,2年上に稲葉(陽八段)さん、1つ下には豊島(将之二冠)さんがいらっしゃいました。彼らに追いついたことはなかったのですが、常に目標にしていたのかなあという気はします。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

A:宿題の夏休み新聞にも将棋のことばかり書いてましたので、この少年は将棋がとても好きなんだなあという風に思っていただけたはずです(笑)。

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

A:小2か3年生の頃です。

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつでしたか?

A:奨励会はプロ棋士を目指すところなんですけど、周りが奨励会に入っていくから、自分も受けてみようかなあという風に(笑)。級位者の頃は同期に追い抜かされることはいやだなあということと、がむしゃらに勝ちたいという気持ちだけでいっぱいでした。プロを意識するようになったのは、有段者になった頃ですね。

 

続く

 

Oishi

2018年11月 9日 (金)

村田顕弘六段へインタビューしました・後編

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつのときでしたか?

A:学校の夏休みや冬休みの期間に関西将棋会館へ行くのですが、5年生のときに2段、3段と昇段しました。正式な形で昇段する喜びとうれしさを感じまして、プロを目指そうかなという気持ちが芽生えましたね。

Q:子供の頃に憧れていた棋士は?

A:羽生先生と谷川先生でしたね。

Q:中一(13歳)のときに関西奨励会へ入会されました。プロ棋士になるんだという覚悟はありましたか?

A:将棋が好きでやっていましたので、その気持ちはあったのかと思いますが、ほんとの意味でのプロ意識はどうでしたかね(笑)

Q:奨励会に合格されてから、師匠に何か言われましたか?

A:月並みなことばかりでしたが、調子はいいの?悪いの?とか、とても気にはかけて頂きました。
  
Q:富山から関西道場への月2回の通いは大変だったと思いますが?

A:大阪で2局指したら戻るという、とんぼがえりの生活は大変でしたが、電車の中は楽しかったです。高校生の時、ちょうど奨励会二段になったときですが、父親が僕の環境を考えてくれて、尼崎に家族で引っ越しました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

A:テストの日は奨励会を休んでいましたが、当時はあまり両立させようとは思っていませんでした。ただ最低限の宿題をやり、授業はちゃんと受けていました。だんだん自分は将棋のプロになるんだからと考えるようになっていったように思います。でも数学は好きでしたね(笑)

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

A:どんな子にも可能性はあると思います。素直な子でも、負けず嫌いでも、伸びる子は伸びます。

Q:彼らにどのような勉強方法を薦めますか?

A:僕が奨励会の頃と今は環境やレベルがだいぶ違いますので、薦めると言ってもなかなか難しいですが、やはり実戦だと思います。今だとネットやアプリもありますので、ゲーム感覚にならずに一生懸命にやることが大事かなと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

A:暖かく見守ってほしいと思います。負けたときには元気がだせるように、支えてあげるのが一番だと思います。

 

本日は、級位者を対象とした午前の部を見学しました。村田先生の優しいお人柄にふれて子供達も伸び伸びと将棋を指していました。予定の時間をだいぶオーバーしましたが、最後の子の指導が終わるまで丁寧に接していたのが、印象的でした。お忙しい中、インタビューの時間を取って頂いた村田先生にお礼申し上げます。

 

Aisatu

2018年11月 8日 (木)

村田顕弘六段へインタビューしました・前編

先日(10/20)、村田顕弘六段を講師としてお招きして、宜野湾道場支部の研究会が開催されました。席主のお計らいで、村田先生へインタビューする時間を設けて頂きました。
幼い頃~奨励会に入るまでを中心にお尋ねしました。沖縄の子供達の参考になればということで、村田先生には快くインタビューにご了承していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は村田先生に目を通して頂いて、ご了解のうえ掲載いたしております。

 

Q:将棋をはじめたきっかけは? それはおいくつのときですか?

A:父親がアマ初段でしたので、幼い頃には駒の動かし方やルールは一通り教わっていました。  

Q:兵庫県尼崎市生まれで富山県魚津市育ちですが、おいくつのときに引っ越しされましたか?

A:小学2年生(8歳)に上がる前に、父親の転勤の都合で富山県に引っ越しました。

Q:将棋に夢中になったのはおいくつのときですか?

A:8歳です。引っ越し先の魚津市に将棋愛好会があったのと、学校でも将棋教室の時間がありまして、そういう環境に恵まれたのが夢中になるきっかけでしたね。

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

A:う~ん、なんかどこか変わったちびっ子でしたかね(笑)負けず嫌いではあったような気もします。これは、よく言われます(笑)。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

A:TVゲームがとても好きで、特にロールプレイング・ゲームはよくやっていました。ドラクエはもう何回クリアしたのか、わかりませんね(笑)

Q:富山出身の中田章道先生が師匠ですが、小さい頃に出会いがあったのでしょうか?

A:僕が奨励会を目指す時期に、富山市の道場の支部長さんに紹介して頂きました。それまでは接点はありませんでした。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか?
 
A:週3回ほど地元を含めて富山県内の3カ所の道場へ通っていました。その頃はプロを目指すというよりも、将棋が好きだから、一生懸命に取り組んでいました。

Q:その頃はどんなふうに将棋の勉強をしていましたか?

A:実戦だけでした。実戦で指して、考える。それだけでしたね。あと新聞に載っている詰め将棋はしっかり解いていました。後からは将棋世界を買ってもらうようになりました。

Q:周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

A:市内にはいませんでしたが、県内には小学生名人を取った子がいました。僕よりもずっと強かったので、ライバルというよりも彼が目標でした。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

A:やんちゃ坊主でした(笑)

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

A:小学5年生でした。

 

Muratas

2017年12月17日 (日)

中村亮介六段にインタビューしました・後編

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつのときでしたか?

中一で中学生選抜大会に出て、成績はベスト8か16だったかな? またその年に朝日アマの埼玉県の代表になりました。中学生の代表は初めてということで、周囲からもプロ棋士になるように勧められました。それで漠然と意識するようになりました。

Q:子供の頃に憧れていた棋士は?

ずっと四間飛車一本でしたので、振り飛車党の棋士には憧れていました。藤井猛九段や久保利明九段ですね。

Q:13歳のときに関東奨励会へ入会されました。プロ棋士になるんだという覚悟はありましたか?

中一で奨励会試験に1回落ちました。そして研修会から奨励会に仮入会しました。中二のときですね。そんなにプロになることは意識していませんでしたね。その頃は夢中に将棋を指しているだけでした。

Q:奨励会を受験するには師匠を見つけなければいけませんが、高橋道夫先生との出会いのきっかけは?

当時、通っていた練馬の道場の席主さんのご紹介でした。父親とお願いして師匠になって頂きました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

父親がそんなに学校の勉強はしなくてよいからと(笑)。とにかく将棋を一生懸命しなさいと。高校はちょっとだけ通ったのですが、将棋の勉強に集中したくて、結局中退しました。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

負けず嫌いは大切ですが、好きでやっているかどうかが重要だと思います。

Q:彼らにどのような勉強方法を薦めますか?

好きなことを楽しんでやればいいと思います。ぼくはあまり詰め将棋が好きじゃなかったし(笑)。実戦や棋譜並べのほうが好きでしたので、好きなことをひたすらやっていましたね。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

僕はプロになれなかった子も結構見ているので、あまり下手なアドバイスは出来ないです。結構、大変な世界だと思うので...。う~ん、難しいですね...。

本日はどうもありがとうございました。中村先生の益々のご活躍を期待しております。

 

この日、道場支部の研究会を見学しました。最後に、中村先生が今日の感想を述べられました。「次に来るときには、もっと強くなっていて下さい。楽しみにしています!」。子供達もその期待に応えられるようにと、キリッと締まった顔つきになりました。

 

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2017年12月16日 (土)

中村亮介六段にインタビューしました・前編

11月29日に中村亮介六段を講師としてお迎えして、宜野湾道場支部の支部研究会が開催されました。当日、席主のお計らいで、中村先生へインタビューする時間を設けて頂きました。将棋を始めてから奨励会に入るまでを中心にお尋ねしました。沖縄の子供達の参考になればということで、中村先生には快くご了解していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は中村先生に目を通して頂き、ご了承のうえ掲載いたしております。

 

 

 

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Q:将棋をはじめたきっかけは? それはおいくつのときですか?

父親から小学5年生の頃に教わったのが最初でした。

Q:お父様は将棋が強かったのですか? 妹さん(=中村桃子女流初段)はいかがでしたか?

父はそんなに強くはありませんでした(笑)。職場でも楽しんでいたようです。2つ下の妹も一緒に始めたのですが、ぼくの方が強かったですよ(笑)。

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

負けず嫌いでしたね。勝負に負けるととても悔しがっていました、はい。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか? 

最初は入間(いるま)にあった将棋道場に通っていました。そこで席主と八枚落ちから始めました。八王子の道場にも通いましたね。

Q:その頃はどんなふうに将棋の勉強をしていましたか?

棋譜並べや詰め将棋など。将棋大会に出たり、道場で実戦を積み重ねるとか。そんなに変わったことはしていませんでした。

Q:周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

大会でよく当たる子はいました。同じ埼玉で後輩の及川君(=及川拓馬六段)とか金井君(=金井恒太六段)とか、ですね。それとぼくは研修会に通っていましたので、そこにはライバルはたくさんいました。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

将棋が好きな子だとは知っていたはずですが、どうなんでしょうか(笑)。

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

将棋を始めて1年近くでアマ五段までいったので、う~ん、よく覚えていません。

 

 

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つづく

2017年6月 5日 (月)

都成竜馬四段にインタビューしました・後編

Q:憧れていた棋士は?

A:師匠の谷川先生や羽生先生です。ちょうど自分が小学校一年生の時に羽生先生が7冠を取られて。そのときからお二人への強い憧れがありましたね。

Q:小学5年生の時に出場された第25回小学生将棋名人戦で優勝されて、その年の9月に関西奨励会へ入会されました。日本一になったので、奨励会を受験しようと決意されたのですか?

A:決意というよりは、プロ棋士になるためには次は奨励会だと、思っていました。

Q:奨励会を受験するには師匠を見つけなければいけませんが、谷川先生との出会いのきっかけは?

A:師匠とは面識はなかったのですが、5年生のときに「弟子にして下さい」と手紙を書きました。もちろん、親にも師匠宛の手紙は書いてもらいました。

Q:奨励会に合格されたときに、師匠に何か言われましたか?

A:最初に勉強方法のアドバイスを頂きました。20手前後の詰め将棋を解くことや、棋譜並べをしっかりするようにと言われました。あと「三段になって、やっと半分だからね」と強く言われました。

Q:宮崎から関西道場への月2回の通いは大変だったと思いますが?

A:最初の数回は母親に大阪まで付いていってもらいましたが、その後は一人で通いました。

Q:将棋の勉強と学校の勉強を両立させるのは大変だったと思いますが、どのようなバランスを取っていましたか?

A:学校の成績はだいぶ落ちました。うまく両立できなかったと思います。しかし、自分はプロになるんだからと強く思っていました。

Q:沖縄にも奨励会を目指している子がいます。将棋が強いのは当然ですが、どのような性格の子が向いていると思いますか?

A:性格的には負けず嫌いが向いていると思われるようですが、自分の性格は、う~ん、そこまで負けず嫌いではないし、笑。それでも自分がプロになれたのは、それほど将棋が好きだったからだと思います。将棋が好きなのが一番だと思います。

Q:奨励会を目指している子にはどのような勉強方法を薦めますか?

A:藤井 聡太さんを見ていると、詰め将棋がいかに大事だなと思います。

Q:ご父兄へのアドバイスは?

A:自分の場合は、家族が見守って応援してくれたのがありがたかったです。自分は将棋と勉強の両立があまり出来なかったけれども、学校の勉強がおろそかにならないように、厳しくするのも大事だと思います。

本日はどうもありがとうございました。都成先生のますますのご活躍を期待しています。注文のタコスも来ましたので、熱いうちにお召し上がり下さい。初めてのルート・ビアの味も気に入ってもらえればいいのですが、笑。それでは、乾杯!

 

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2017年6月 4日 (日)

都成竜馬四段にインタビューしました・前編

5月7日の学生3大会にゲストとしていらっしゃいました都成竜馬四段へインタビューしました。都成先生が奨励会に入るまでを中心にお聞きしました。奨励会を目指す沖縄の子供達の参考になればということで、快くご了解していただきました。2回に分けて掲載します。
*なお本記事は都成先生に目を通して頂き、ご了解のうえ掲載いたしております。

 

Q:将棋をはじめたきっかけは「父と兄が指していたのをみて自然に覚えた」ということですが、それはおいくつのときですか?

A:4歳でした。父が将棋がとても好きな人なので、兄に教えていました。二人が楽しそうだったので、自分もいつの間にか加わっていました。

Q:ご家族は将棋が強かったのですか?

A:父と3つ年上の兄は、だいたい初段~2段くらいだったと思います。

Q:他にはどんなことに興味や関心がありましたか?

A:外を走り回ることも好きでしたが、将棋を覚えてからは、それにのめり込んでいました。他には手品にも興味を持って、それも覚えたような気がします、笑

Q:どのような性格のお子さんと言われてましたか?

A:ぼーっとすることが多いと。対局中もよそ見することが多いと注意されました。集中力はあまりなかったです、はい、笑。

Q:将棋道場や将棋教室には通われましたか?

A:自分が小一のときに、父がこども将棋教室を始めました。元々教え好きの性格なので、自分と兄に教えていたことがきっかけになったようです。自分よりも年上の子が多くて、教室はにぎやかでした。

Q:どんな将棋の勉強をしていましたか?

A:詰め将棋と実戦が多かったような気がします。詰め将棋は元々好きで、朝、幼稚園へ行く前にも解いていたそうです。

Q:その頃、周囲には将棋のライバルや友達はいましたか?

A:最初のライバルは兄でした。でも自分が小一くらいで抜いちゃったようで。ライバルよりも将棋仲間がたくさんいました。兄と同じ年の高崎一生六段もこちらの教室に通っていましたよ。

Q:学校ではどのようなお子さんだと先生の評判でしたか?

A:この子は将棋の子だと。大会や奨励会のために学校を休むので、もう仕方ないなと、笑

Q:アマ初段になられたのはおいくつのときですか?

A:2年生でした。奨励会を受験するときには四段になっていました。

Q:プロ棋士を目指そうと意識されたのはおいくつでしたか?

A:将来の夢を聞かれたときには、小学校に入る前から漠然とでしたが、プロ棋士になりたいと答えていました。

 

続く

 

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